昭和、平成、そして今年五月には新たな時代を迎える。第二次世界大戦終結から七十三年余り。戦争体験者が減る中で、福井市中央二丁目の老舗表具店 「向陽堂」では、戦中の金属類回収令により仕事道具の丸包丁を奪われ、戦中の面影を残す代用の桑切り包丁が今も「現役」で活躍している。三代目の表具 師、向章秀さん(50)は「店の看板道具。これがなければどうなっていたか」と、戦争に翻弄(ほんろう)された職人の苦悩を明かす。 (青木孝行)
向陽堂は明治末期に初代の向権蔵さん(故人)が、市中心部で創業。何度か移転しながら、掛け軸やびょうぶ、ふすまを手掛ける表具店を営んできた。
しかし、国家総動員法に基づき、武器生産に必要な金属資源を集める金属類回収令が一九四一(昭和十六)年に施行されたことで一変。初代の権蔵さん は鉄製の丸包丁の供出を余儀なくされ、仕事がままならない状態となった。
表具師にとって、丸包丁は、重要な仕事道具。丸い曲線を描いた片刃の刃先が特徴で、掛け軸などを作る際に、和紙や布を裁断するために使われる。
苦境を打開するため、権蔵さんは、旧美山町(現福井市)の実家に救いを求めた。実家では、養蚕を手掛けていたことから、供出を免れた桑切り包丁を 仕入れることができた。掛け軸などの作業は刃こぼれが多く、丸包丁は二本必要なため、桑切り包丁の刃を真ん中で切断、加工した。
今も残る代用の包丁は、一本の刃先は丸みを帯びているが、切断部から作られた、もう一本は刃の先端が平たいままだ。現在では丸包丁の代用の役割を 終え、掛け軸の両端の耳折り作業の道具として、二代目の久秀さん(82)、三代目章秀さんへと受け継がれている。
久秀さんは「戦争は国民を苦しめた。代用の包丁は先代の形見」と、戦中戦後の苦労をねぎらった。章秀さんは「手になじんだ道具だ」と話した。
新たな時代を迎えるのを前に、章秀さんは「質を落とさないのが職人。和紙が高騰するなどしていて、職人が食べていけない時代が再び来ている」と危 機感を強めている。
国家総動員法
日中戦争の激化に伴い、政府が人的・物的資源の統制と運用をできるようにするため、1938(昭和13)年に制定。コメをはじめとする生活物資の多
くが配給制などになるなど、国民が耐乏生活を強いられた。金属類回収令では、家庭の鍋や釜などのほか、寺院の鐘なども供出の対象とされた。